引き続きこの本について書こうと思う。
本書は、前回も紹介したが、あの「ビリギャル」の著者であり、ビリギャルを慶応に導いた当時塾講師だった坪田さんの著書。
この本の中に「なるほどね〜」と思わされる内容があったので紹介したい。
本書では、以下のように書かれている。
「知っていてもやれない場合」と「知らないからやれない場合」のアプローチの仕方は別物です。
知らない人に知識を与えるのが「教育」です。
そして、知っているけれどやれない人をやれるようにするのが「マネジメント」なのです。
現実として、多くの親御さんは「なぜ勉強するのかをわかっていない状態の子」にマネジメントをしようとするから、うまくいかないのです。
まさにその通りだと思った。
僕は昔から、物事に対して自分の中で論理が明確になって、しっくりとこないとモチベーションが湧かないタイプだった。
だから、僕は小さい頃に親に何度となく「どうして算数を勉強しないといけないの?」「どうして社会を勉強しないといけないの?」と聞いてきた。
(ちなみに僕は「どうして理科を勉強しないといけないの?」と聞いたことはない。
理科はいつも現実世界の中にその答えがあって、学問としての理科と現実世界のギャップが少なかったからだと思う。)
ただ、そんな子供の頃の僕の素朴な疑問に対して、いつも親は「いい大学に行くためよ」とか「いい会社に行くためよ」と当時の僕にとっては全くしっくりとこない回答をしてくれていた。
今考えると、だから僕は学校の勉強をする気が起きなかったんだと思う。
当時無理矢理通わされていた中学受験用の塾の勉強だって同じだ。
当然僕は、親の期待には見事に応えられずに、公立中学校に進学し、塾代をドブに捨てることになったのだけれども。
そして、僕は家族の中で「勉強ができないやつ」となった。
けれども、大人になった僕はどうだろうか。
自慢じゃないけれども、僕は今、そこいらの人と比べてそれなりに勉強をしている方だと思う。
TOEICだって、社会人になった時から400点以上点を伸ばしたし、簿記の資格だってとった。
本だってそれなりに読んでいるし。
面白そうなセミナーがあればお金を出してでも行くようにしている。
まあ、全く自慢にならないレベルかもしれないけれども、要するに言いたいことは、僕は決して勉強が嫌いなわけではないということだ。
ただ、僕自身も学生時代は、自分は勉強が嫌いで、勉強ができないやつだと思っていた。
これは間違いなく、学生時代の僕には、「勉強をする理由」が明確になっていなかったことが原因だと思う。
本書で著者はこう言っている。
本質的なことを言うと、大学受験に才能なんか関係ないのです。
才能が必要になってくるのは、大学入学から先を生きていくとき。
その頃から本当の「才能」が欲しくなってくるのですが、その才能を見つけるためには、もともとある能力を伸ばしておかなければなりません。
能力を伸ばすためには、基礎となる知識が必須。
そのためにみんな勉強しているのです。
そういったことを言ってもらえたら・・・と今になって思う。
けれど、今更そんなことを思っても仕方がないので、これを僕は自分の息子に伝えられたらなって思う。
僕の息子だから、きっと自分の中で腑に落ちないとモチベーションが湧かないだろう。
そんな時に、それをやる動機となるヒントを与えられたらそれでいいんだと思う。
今はそう思っている。